不思議なび

世界の果てまでエア冒険。都市伝説から世界の絶景まで、不思議大好き不思議ちゃん管理人による謎解き冒険ブログ

絶望への反抗!恐るべき平行世界から来た男

時空のおっさんに代表されるように、異世界に行って不思議な体験をしたという話は数多く存在する。しかし、中には異世界から我々の住む世界に来たという人も少なからず居るようだ。
今回の話は、異世界から「来た」人の話で、まったく違う歴史を持つ地球、いわば平行世界から来たと自称する男の話で、驚くべき異世界の実情が語られている。

絶望への反抗!恐るべき平行世界から来た男

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私が、札幌にある行きつけのバーで会ったその人は、私と同じくそのバーの常連らしく、バーテンも変人がいるんだと紹介してくれました。
彼は酒を飲む前は礼儀正しく妙に古風な30代とおぼしき男性で、また物を大事に扱う様子が見て取れました。
しかし奇妙な事に酒が廻りはじめると隣で飲んでいる人達に、「自分は他の世界から来たんだ、お前等は不況だ戦争だと言いながら実は一番良い境遇にあるんだ、それに気付かないのも幸せな事なんだぞ」と訳の分からない事を言いふらすのです。

興味を惹いた私はある日、買ったばかりのICレコーダーを持って、思いきって彼に話し掛ける事にしました。
彼は、小樽港で働いていると言いました。ロシア語が堪能なので主にロシア船の貨物受け渡しの管理事務をやっているとの事でした。札幌へは、彼が仕事上よくしてくれている貿易商社への挨拶廻りで度々来ていると言いました。

以下、彼の話を要約した抜粋です。
「何、私がどこの世界から来たって教えて欲しい?そりゃ決まっているだろう、この地球じゃ無い地球からさ。宇宙の果てじゃ無い、紛れも無い地球なんだが、歴史からして違うんだ。」

「つまり、多分歴史のどこかの時点が狂っちまったためにここの世界と違う展開をしてるんだろう。でも紛れも無い現実なんだ、事実なんだ。
私は今から5年前の夏にこっちへ来たんだ。乗っていた船が撃沈されてな。
それで、こっちに着いてから随分苦労したが、前にいた世界ではロシア語が必修だったんで何とか良い仕事につく事が出来た。
私はあの世界じゃ秀才で通してたんだよ。
また、歴史通でもならしたもんだが、それにしても私の知識はおそらく洗脳された後に植え付けられたものだから客観的では無いし、あの世界の本質を知る当てにはなるまいと前置きしておこう。
私は、この札幌の人間でなくて、もともと秋田の大館が出身で、中等学校までそこに居たんだが、若労奨励とかで釜石の銅鉱山で岩石採掘の助手をして、それから18才になって兵役を4年ばかりしたんだ。
何処の国の話だろうと思うだろう?日本での話だよ、ただしあちらの日本だけどな。
正確には日本人民共和国だが。」

「この世界の、この日本じゃ兵役がないなんて信じられないな。まあ、どおりでガタイの良い若者が居ない訳だが。萎びた青物みたいな連中ばかりじゃないか?
ただ、着てるモノや食い物はみんな上等なものばかりだよな。
私も最近働くようになってから色々買ったり食ったりしてるよ。
特にこの街のラーメンは最高だな。向こうじゃラーメンなんて食べるどころか聞いた事もなかったからな。それにヨーロッパ製の、ロシアやドイツ製じゃなくて、フランスやイギリス製の背広や外套を日本で買えるなんて信じられないよ。
経済はちゃんとしてるし、特権階級も居ないし、市場に行けばモノに溢れてるし、日本はこんな底力があったとはなあ。
それにびっくりしたのがアメリカだよ。英語、だったか、あんなへんぴな国の言葉をみんな好んで使いたがるんだからな。なのにこっちじゃ超大国なんだな。本当にびっくりしたよ。
なんで私のいた世界とこちらの世界じゃこんなに違うんだろうって、この世界に来てからずっと考えてたんだよ。歴史通の名が廃るしな、だからこちらの歴史書とかを貪るように読んだね。
最近になってようやくどこで違いが出てきたか分かってきたよ・・・」

「さっき、こっちの若者が萎びた青物みたいだとは言ったが、元いた世界では、階級によっては萎びたどころじゃあない、触れただけで折れそうなまでに餓えた人達が居たな。
こっちじゃあホームレスだとかいうけれど、向こうに比べたらみんなブヨブヨと太って養豚みたいだ。
まあ兵役を受ければみんな基本的には平等に飯を食わしてくれるし、体も鍛えられるしな。
だけど上官のシゴキはどこでも半端じゃあ無かった。
もう飢えで死ぬか、シゴキで死ぬかのどっちかを選べと言われても選べないものだがな。
まあ私がいた第三機械化部隊は、最前線に当たる為か比較的に上官の腐敗は少ないんだが、それでも兵士を早く一人前にする為のシゴキは凄まじかった。
でもあの当時の上官、諏訪少尉には今でも感謝してるよ。ああいう社会での世渡りの仕方をちゃんと教えてくれたのも、酒の呑み方も、地下組織への道を通じさせてくれたのも少尉からだったなあ。
本当にああいう人に出会えるのは幸運な事だった。 」

「歴史通になれたのも、兵役に入った時の同期に色々と教えてもらったからなんだ。
袴田という奴なんだが、やたらと歴史上の戦史やら兵法やらに詳しくてなあ、 源平合戦の壇ノ浦だとか信長が率いた桶狭間の合戦とかを、まるで本人が見ていたように語るんだな。
それで私も、今まで中等学校で全然歴史に興味も無かったし成績も良くなかったのに、奴の話にみるみる引き込まれていってな。
それにまあ学校じゃあマルクスだの闘争史だのしか教えられてないから、初めて歴史を客観的に知るという事が出来たんだ。
奴の実家じゃあ大戦前の教科書だの新聞だのが倉にぎっしり詰まっていたらしく、何でも奴の祖父だかが大戦前に印刷会社で働いていたそうで、 奴もその祖父の影響をかなり受けていたようだ。
だがドイツ軍との戦闘で死んじまってな。装甲輸送車に乗っていて連中の対戦車砲をもろに食らったんだ。
奴の死のいまわに、その倉の事を聞いてな、奴は倉の中の書物は秘密にしてくれるなら全部くれてやると言ってくれたんだ。
兵役の後だったか、奴の実家に弔問に訪れて、奴の親父さんにその事を話したら、親父さんは黙って倉の鍵を渡してくれたよ。よっぽど奴は家族に大事にしてもらえてたんだなあ。
私は農場で働くようになってからも時々その倉に行って書物をそこで読んで色々と勉強したんだよ。 」

「あの頃は私の妻と出会ったばかりだったので、二人の生活を安定させる為に色々と無茶をしてまで働いていた。昼も夜も働いていたっけな。
だけど知識欲というのは止めどないもので、だんだん夜も寝る間を惜しんで勉強するようになって、妻とよく喧嘩をしたもんだ。
だけどそれが功を奏して、グスコーブドリ、地下組織の名前だが、そこでちょっとした立場になって色々とそこでも働くようになった。
私が此処に来る遠因もそこにあったんだよな。
妻とは農場で知り合ったんだが、私とは2歳上で、器量も頭も良くて優しい、私にはもったいない人だ。
管理舎で肥料調達の担当をしていて、農場内で五指に入る美人だったんだ。
だけど村祭りで強引に告白して付き合う事に成功したんだ。
後で聞いたら今まで誰も告白なんかしてくれなかったそうだ、ひょっとしたら恋は盲目って奴かもな。
まあそんなわけで子供も二人生まれたしな。だけど飢えだけはどうにもならなかった。
家族は、いやどこの村でもみんなひもじい思いをしていた。
最近じゃ肥料にやたらと放射能が混じるようになって、日照量がえらく少なくなり旱魃がひどくなって作物が全然育たなくなったし、みんなの我慢は限界に達していたんだよ。

「え?こっちの歴史の話が聞きたい?そうだな・・・
あんたを混乱させるといけないし、こうするとみんな聞くから世界史の話から始めよう。
多分、20世紀に入ってすぐ辺りからなのだろうな、あっちの世界とここの世界が違ってくるのは。
とか最近考えるんだが。そうすると第一次大戦がきっかけなのかな?
大体、1914年に勃発したあの大戦は三国同盟の敗退に終わり、ドイツはワイマール体制の管理下に置かれたんだったな。
しかしこの俄か民主国家は、結局第一次大戦後処理による天文学的補償の返済による財政圧迫によってあのナチス党台頭を許してしまったわけだ。
その頃ロシア帝国でも、相次ぐ経済失策や下層階級への弾圧が共産主義勢力の台頭を許し、1921年にロシア革命を起こしてしまった。共産革命は第三インターナショナルを通じ、中国、朝鮮等の東アジア諸国やボリビア、ペルー等の南米諸国に波及したのさ。
日本も日露戦争に敗退した後にロシアや英国に対する莫大な国債を抱え、財政危機を招聘してしまった。
そして第一次大戦時に勃発した第二次日露戦争で北海道を占領され、
日本は緒戦に於いて英国の協力を得る代りに英国の日本国内に於ける経済的支配を容認してしまった。

「この事態に、米国も東アジア地域に積極的に干渉してくるようになった。
特にロシア占領後共産化してしまった朝鮮や遼東半島への軍事介入を行い、東アジアの権益を巡る英国との対立が引いては第二次大戦での致命的敗退の原因になったわけだ。
そして1929年の世界恐慌はドイツのナチス台頭やイタリアのファシスト党台頭の原因になり、そのお陰でスペインやオーストリアといった欧州地域全体がファシズムの嵐に巻き込まれるようになったのだ。
当然、他の欧州諸国は危機感を持った。フランスや英国は所有する植民地と本国とをブロック経済により保護しようとしたが、本国内の混乱拡大を結局防ぐ事は出来なかった。
この様な状況では1939年の第二次世界大戦勃発はむしろ当然の帰結だったんだよな。
ここで問題となるのは、なぜナチスを中心とする枢軸側はソビエト共産圏とが連係したかなのさ。
双方ともに相手を否定し、最終的な討伐の対象としていたわけだからな。
それで理由に考えられるのは、両国とも北米大陸の権益を最重要視していたからだろう。
当時の米国ではウィルキー政権が英国との対立関係上、依然としてモンロー主義を貫いていた。
しかし世界恐慌による長い不況が米国社会に深い傷をもたらし続けていたそうだよ。
だから30年代から40年代に掛けて暴動や犯罪が後を絶たず、モンロー主義を徹底する大統領府側と派兵論にはやる軍とが対立を強めていたという。
この事はナチス・ソ連側に米国崩壊の為の対米政治工作を助長する一因となった。
ナチス・ソ連の両国は、まず目先の敵を倒す為に表面上の協力ないし不干渉を約束する独ソ不可侵条約を1940年に締結した。

「そして1943年秋、米国陸軍が共産圏からの支援の口約束を得てクーデターを起こし、親独中立的な大統領府側の治安部隊・州軍との衝突で東海岸は一時的に内戦状態に陥ってしまった。
その頃までにはドイツ軍は英国を完全占領し、すぐに兵力を米本土に差し向けた。
そして親独政権を樹立させたケベックを地歩に怒濤の米本土進撃を行ったんだ。
これに呼応してソ連軍もアラスカから米本土への侵攻を開始し、1945年春に米国は崩壊、ドイツ軍とソ連軍はミズーリ川近辺を境に米本土を完全分割占領してしまった。
一方、大平洋地域に於いても旧来よりドイツ領だった中部大平洋諸島を地歩としたドイツがオーストラリア、フィリピン、台湾、更に日本西部を占領した。
それに対しソ連軍も日本を南下し、遂に関東地方で独ソ両軍が初めて直接衝突したってわけだ。
1945年夏の事だったよ。

「独ソの衝突は1946年初頭にドイツ軍が原子爆弾搭載型弾道弾をモスクワに打ち込むまで続いたんだ。
ドイツはソ連に先駆けて原爆を開発していたからな。
対するソ連でも、米国占領時にロスアラモスを得た事で核開発が急速に伸展していたのでモスクワ核攻撃から2週間でベルリンに原爆攻撃を敢行出来たわけだ。
これで独ソの衝突は膠着し、1946年4月14日にヒトラー・スターリンの両巨頭がバルト海沿岸のクライペダで会談を開き、ケーニヒスベルグ休戦条約が締結されて第二次世界大戦が表面上は終結したのさ。
両者共に核兵器の存在を誇示しつつ全滅戦争への道をメンツ上回避した格好だよ。
その後、独ソ二大国は第三世界へ急速に勢力を網羅させて、休戦条約締結から2、3ヵ月のうちに世界全体が完全な独ソ冷戦構造に組み込まれちまった。
具体的には、ナチスドイツは欧州全域とアフリカ大陸の大半、中東南西部、インド亜大陸、北米東半分と中米、南米東半分、オーストラリア及び東アジアの一部を勢力下に収めた。
共産圏はそれ以外の地域、すなわちロシア、中央アジア、中東北東部、東アジア及び東南アジア全域、北米及び南米西半分、アフリカ大陸の一部が手に入ったのさ。
そのいずれにも属さない地域は実質的に無く、あっても独ソ冷戦構造の境界にあって恒常的な内戦状態をもたらしていたんだよ。

「日本列島は完全に独ソ陣営の境界地域に属したといって差し支えないだろう。
休戦条約締結以降現在に至るまで日本は断続的な内戦状態にある。
それはおそらく日本の歴史上最悪の状況だ、日本が他国の干渉を受けずやっていた時代があったなんて全く信じられないよ。
今、日本列島は本州の柏崎-銚子の線を境に北と南に分断されている。
私が居た北側は篠原一族が親ソ傀儡政権を牛耳っている。奴等とモスクワ中央政府の画策によって国民全員が農耕を強いられ、反抗する者は樺太の強制収容所に連れてかれる。
優秀な技術者や高官以外の一般人民は共同長家で暮らしている。
恒常的な飢えや物資不足で、行政官や風紀委員の目を逃れて闇市で飢えをしのいでた。
あの頃は毎日ジャガイモ数個と僅かなコウリャンで家族4人が暮らしてたんだ、全くやってられなかったよ。
なのに政府の役人どもはデカく酷い煙を吹かしまくる車に乗り、専用の食糧市場で買い物が出来て専用の高層住宅に住んでた。全く共産主義が聞いて呆れるよ。
小学校の時からマルクスと共産闘争詩をさんざん読まされたが、あの精神はどこいっちまったんだ!って感じだったよ。
南側はまったくわからないがもっと酷いと聞いている。
何しろユダヤ人の完全絶滅を1962年に達成したナチスはその鉾先を他の有色人種に向けられている。
ドイツ軍に最後まで抵抗した日本人はやはり駆除の対象にされちまった。
今では日本にも絶滅工場が設置され、また医療研究開発と称して多くの日本人が人体実験に与されているらしい。
12年前の兵役時には前線の向こう側のドイツ軍陣地に何千人もの日本人がぼろを着て苦役に従事しているのが見えた、それに較べるとまだ東側の方がマシなのかも知れんがな。

「とにかく私達の社会では監視の目をかいくぐって、東北県で地下組織を作っている。
多分全世界に似た組織が有る事だろう。
私が参加していた組織「グスコーブドリ」は表面上は昔の農作や史書を調査して農業に役立てる名目の民間団体だが実体は他社会の情報収集と連絡を試みる事にあった。
手製の無線送受機を使ってどうやら日本全土と、少なくとも朝鮮にも同様の組織が多く存在しているらしい事が分かってきた。
そして、組織の首領だった曾根崎という男は全世界的な地下組織の連絡網を築く事でモスクワ中央政府を打倒する事ができ、世界を解放に導けると語ったよ。
そこで各地下組織とは、無線による断続的な交信だけでなく密使を遣わして具体的な連携を図る計画が立てられた。
そして、私に白羽の矢が立ったのだ。密使には私の他にも何人か選ばれた。
私達はそれぞれ別の場所へ赴く事になった。
私の赴く場所はペトロパブロフスクだった。
クリル列島をつたってカムチャツカ半島へ行く船便に乗るのだ。
しかし旅行の許可を得るには幾つもの資格承認と許可証の発行、またその為の代償労働をする為に鉱山や土木作業場へ行かねばならなかった。
4年かかって、ようやくペトロパブロフスク・カムチャツキーへの渡航許可が降りた。
私は1996年の4月14日に、たかだか2千トンしかなさそうなボロ連絡船に乗り、石巻港を出た。
しかし港を出てから12時間もしない内に三陸沖辺りでドイツ軍の潜水艦に狙われたようだった。
私はその時甲板に出ていたんだがすぐに船内放送があり、全員が船内に退避するよう命令された。
しかし私は、どこに潜水艦がいるのか確かめようと手すりに掴まって海をよく覗こうとした。
その時にいきなり船尾で爆発が起こり、その衝撃で私は海に投げ出されてしまった。
覚えているのは海に頭が突っ込む所までで、それ以降は全く記憶に無い。
気付いたら八戸に程近い浜辺に打ち上げられていた。
そして、そこは今ある世界だったんだよ。

「私は病院に入れられた後、この世界の警察に引き取られた。
私は病院の医師や警察官にこの事を話したが、全く相手にされなかった。
この世界の警察官はあの世界に較べると遥かに丁寧だったが、同時に頑迷だった。
私は名前のみ覚えている記憶喪失者と見なされ、社会訓練施設に入れられた。
白痴や素行不良者と一緒に扱われ、この世界の事を学んだ。
この世界は第二次大戦でドイツとソ連が協定を結ぶ代りにソ連が米国と連係して連合軍を形成し、ナチスドイツを敗退させたようだな。それは正しい選択だったと思う。
しかしこの世界でも同じように冷戦があった。
しかしあの世界と異なりこの世界では冷戦がソ連の崩壊を助長させる原因だったと思う。
共産圏の人民にとっては他人の芝生がさぞ青く見えた事だろう。
あの世界の私達はそんな事は思わなかった、どちらの芝生も枯れていた。
そして何を革命の為の指針にすべきか全く分からないまま地下活動を続けているんだ。
だから独ソ冷戦構造は揺るがない。独ソの指導者達は冷戦を続けるフリをしてバーターでそれぞれの既得利益を貪り続けているんだ。
それがどれだけ絶望的な事か分かるかい?

「私はあの世界とこの世界を分ける歴史の分岐点はどこだったか調べたよ。
要因の一つは日露戦争にあったろう。
こちらの世界では日本は戦争に勝ち、その後中国大陸に地歩を置いて
アジアに勢力を保ち得たお陰で、第二次大戦に能動的に参戦し、敗退して後も戦前のノウハウを生かして戦後復興を成し遂げたんだ。
こんなに繁栄しているとは今でも信じられないな。これで不況だとか言っている奴はそうとうな怠け者だと思うよ。
他の分岐点はおそらく20世紀に入ってからの米国やロシアの振る舞いにあるだろう。
なぜこちらの世界ではロシア革命が1921年では無く1917年だったのか、米国の第二次大戦時の大統領がウィルキーではなくルーズベルトなのか、まだ分からない。
ただ一つ言えるのは米国の勝利は世界人民にとって福音であったと言う事だ。
昨今のテロや戦争は米国が結局のところ、ナチスドイツやソ連と何ら変らない本質を抱えている事を示唆しているが、少なくとも米国が表向き標榜する自由民主主義は世界人民の大多数が支持する所だろう。
自由民主主義は誰もが自由な意思と行動を保ち、また尊重し合っていける。
あの世界では全てが逆で、世界人民の大多数が抑圧され、思想と行動を制限され、誰もが互いの意見を尊重していない。
密告が通例であり暗黙の内にリンチや暗殺が日常茶飯事になっている。大多数が飢え、富はごく一部の人間に握られている。
だから本当にこの世界に来て良かったと思う。
ただ、気掛かりなのは私の妻と子供二人があの世界に置き去りだという事だ。
多分私はあの連絡船攻撃で死んだと伝えられているだろう。それがあの状況では当然だからだ。
だけど出来れば私の家族をこの世界に連れて来たいと願っている。
だから今は貿易会社のつてでロシアにある某物理研究所と連絡を取っている。
そこは、量子宇宙物理学を専門で研究しているそうだ。
研究所の所員にいきさつを話すと、私の話は信じられないと言ったが
巨視レベルで異なる時空連続体と情報を伝達する事は可能だそうで、
その先の話は私には理解出来なかったが、どうやら見込みはありそうなのは分かった。
しかし、もしあの世界と連絡が取る技術が開発されるにしても、完成までに何年もかかるだろう。しかし私にはそれ以外に待つべきものが無い。一生かかっても待つよ。」

そういえば、彼と話していた時に彼の乗った船が潜水艦で攻撃された時に受けたという左腕の傷と上椀部の、兵役時に敵の銃で撃たれたという傷跡を見せてもらいました。
首筋にも白兵戦時にナイフで切られた(と称する)傷もありました。
また右腕にはキリル文字と数字が彫り込まれた奇妙な入れ墨もありました。
確かцяеа-12448066-1988とありました。
彼によると、これは北日本政府がその国民全員に付ける社会登録番号だそうで、цяеа(ツェー・ヤー・イェー・アー)は彼が生まれた地域記号、12448066は彼の地域内登録番号、最後の1988は彼が兵役に入った時にその初年(1988年)が刻まれるそうです。
これが南日本になると、腕にこちらのバーコードにあたる同心円の入れ墨が入るそうで、あちらの全世界全ての政府はこのような非支配階級の管理方法を取っているそうです。
最も、彼はただのヤクザ上がりの男であり、彼がでっち上げたこれらの話に真実味を持たせる為に自ら入れ墨を入れたのかも知れませんが・・・

結局、彼とは、例のバーで3回位会ったきり、会っていません。
最後に会った時に彼は、ロシアに長期出張に行くと言っていた気がします。

あの後で、色々調べてみようとも思ったのですが自分が急に忙しくなってしまったので、結局何もしませんでした。
ひょっとしたら、彼が八戸で助けられたと言う頃の、該当する地方の新聞に何かその事に付いて記事が載っているのかも知れませんが調べてはいません。

しかし、彼の話す内容は何故か説得力に満ち、真実味がありました。
そして彼の話が万一、真実だったら、と思うと戦慄を禁じ得ず、同時に私達がいる社会が非常にあやふやな、不安定な土台の元に立っているように感じられてなりません。

質疑応答

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Q「あちらではどんな仕事をしていたのですか?」
A「中等学校を卒業して、兵役までは岩石採掘の助手をしていた。
除隊してからは花巻にある集団農場で働いていたが、ドイツ軍爆撃機によって岩手山から駒ヶ岳にかけての要塞が爆撃されて以来、宮城の集団農場に合流して作業していた。」

 

Q「科学技術はどの程度発達していたのですか?」
A「各家庭に一台は電話器やラジオを設置する義務があって、そのラジオは辞書と同じ位の大きさだった。電話は手回し式だったな。
TVはある程度義務奉仕をすれば供給されるが、白黒で画面も小さかった。
宮城第4区集団農場の管理舎では電算機が置いてあったが、この世界の電卓程度の性能で大きさはこちらのパソコン位だった。
兵役では、結構複雑な通信装置を扱わせてもらえたよ。
農場用肥料の改良は農場の裁可でしょっちゅうしていたが、中央から送られてくる作物の種や苗は、中央で遺伝子改良されたものだと教えられた。
あと、中等学校の映像講習で、月を探検するソ連宇宙飛行士の映像を見た。
詳しくは教えてくれなかったがドイツでも月宇宙船を開発していたらしい。
宇宙開発競争の結果、ソ連が1968年10月14日に人類初の月面着陸を成し遂げたとあるが地下組織内の噂では、独ソとも月面着陸を成し遂げてないそうだ。
だからこの世界でも米国が月面着陸を成し遂げたそうだが、実はウソかも知れないよ。」

 

Q「娯楽はどうしていたのですか?」
A「普段は、家族でラジオや、農場で働き始めて5年目に勤労褒賞として供給されたTVを見て過ごしている。TV番組は集団劇とか、労働歌謡とか、紀行番組とかをやっていた。中でも一番は、偉大なる革命家篠原一族の喧伝番組だよ。
この世界ではTV局が幾つもあるし、コメディ番組を初めて見た時は
ビックリしたよ。子供に見せてやりたかった。
時々、農場組合の誘いで集団運動会をやる事もあった。いずれも単調な運動で、サッカーとか野球なんかは試合をするのに人民局の許可が必要だったな。
あと一年に一回、篠原知治(シノハラ・トモハル)国家主席の誕生日に人民最大の祝賀を行わなければならず農場の管理長が、これは娯楽だから楽しんで祝えと言ってくれたよ。
何で主席の来ない仙台の大通りで行進する事が娯楽なんだ?って思ったね。」

 

Q「兵役はどんな感じでしたか?」
A「私は人民陸軍第四方面軍団に配属されて、1年の基礎訓練をしてから第三機械科部隊で装甲車の操縦士になった。といっても操縦助手みたいなもんだが兵役が終わる頃にはT72戦車に乗せてもらった事もある。
基礎練の時はかなりきつかった。中等学校の頃に軍事教練の時間があって模擬戦なんかもやったけど、それとは比べようもなかった。
少し遅れたりすると教官が平棒で思い切り腹や背中を叩くんだ。
上官に口答えなどしようものなら平棒の面でない方で頭や顔を叩くんだ、とすると顔中から血を吹き出して殆ど死んだようになって動かなくなる。
基礎練中に部隊から失踪した奴は数知れんよ。
演習中に逃げ出した兵士を捜索して射殺する山狩りに参加した事もある。
しかし、「グスコーブドリ」のシンパと初めて接触したのも会津の基礎訓練所だった。
部隊の士官は結構多くが、諏訪少尉も含めて実はこういった組織の細胞だったらしいんだ。
最初に配備されたのは八郷の駐屯地だった。
何度か筑波山要塞から前線中立地帯へ偵察に行って、ドイツ軍の特殊工作部隊と何度か交戦した事もある。
いやドイツ軍といっても実際は薬で洗脳されたみたいに濁った目をした
東洋人兵士ばかりだったが。頭にプラグみたいなものを付けた捕虜を
見た事もある。どっちの軍がやったかは分からんが。」

絶望への反抗!恐るべき平行世界から来た男 解説

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戦争で地獄と化した未来からこちら側の世界に「来た」という珍しいケースの話で、世界情勢が見事に語られているため、ただの酔っ払いのホラ話ではなさそう。
こちらの世界では日本は一時対戦に勝利し、大日本帝国として大きな軍事力をバックにアジアに勢力を保ちナチスドイツと連携し二次大戦に参加し敗退。しかし、その後両国とも復興を遂げている。

この話の世界では、一次対戦に敗北し大日本帝国という国家になる以前に国家としての力を失っている上に、ナチスドイツとの同盟関係はなく支配されている。
日本はドイツとソ連の両国に支配され、内戦状態となっており、まさに「修羅の国」と化している様子が伺える。

話の中で、世界情勢から日本人民共和国の国家主席の名前(篠原氏)や兵役時の上官や戦友の名前まで語られているので即興で作った話でないことは明白。

現在の日本も、歴史の選択が1つでも違っていれば話の世界のように修羅と化していた可能性は十分にありうる。話の最後に語られているように、この世界は、あやふやな土台の上に立っておりちょっとしたきっかけで違う世界に行ってしまう可能性があるという事を教えられる。当たり前と思っている世界は、実は全然当たり前ではなく、むしろ奇跡の存在であるのかもしれない・・・。